牧師 宮崎徹(みやざきとおる)

【宮崎徹】

京都産業大学

関西聖書神学校

前明石人丸教会牧師

千恵夫人との間に三人のお子様

時にユーモアを交え、ストレートで、元気が出るお話が特徴です。

スポーツ大好き。特に野球。

牧師 宮崎千恵(みやざきちえ)

関西聖書神学校

私が教会に行くようになったキッカケ

U.Kさん(1989年生)

私は実家が仏教のお寺で、僧職の親のもと育ちました。しかしながらその寺で祀っている「仏さま」や「仏像」が私の人生に意味を感じさせてくれたり助けてくれるような感覚を持ったことがありませんでした。

また、自分の家庭が抱えている問題を見ると、いわゆる「聖職者」と言われる人間もさまざまな問題に苦しんでいたり、その傷によって誰かを傷つけていたりする様子が見えて、「宗教なんてものはニンゲンを救わない」と考えるようになりました。

生まれつき持っていた持病もあり、やがて私は『生きていてもつらい事ばかりで意味なんかない』と思うようになりました。自殺を考えることもありましたが、いざやろうと考えてみると怖くてできないことに気づきました。生れてきたのに前向きに生きることもできず、かといって死ぬ勇気もない…自分が価値のない人間なんだと感じるようになりました。

そんなむさしさをかかえたまま大阪の大学に進学し、クラスメイトのある子がクリスチャンということを知りました。私はその子に「なぜ現代で神さまなんて信じることができるのか」と問いかけました。

その子は言葉につまりながらも、とにかく「神さまという存在は、人間一人ひとりを意図して作った、愛しているのだと自分は考えている。だからKちゃんのことも愛しているはずだ」という事を伝えてくれ、教会に誘われました。

教会に通うようになって、聖書の提示する人間観や「イエス・キリストがどういう存在か」ということを知っていき、私はそれまで持っていた虚しさという欠けが『神さまを知らなかったからだ』と感じるようになりました。疑う要素はたくさんある気がしましたが『信じてみたい』と思うようになりました。

また、キリスト教が「信じるだけ」でいわゆる『救われる』というものなのは、聖職者の問題や自分自身の弱さを自覚していた私にとって良い事のように感じました。

大学を卒業して故郷であるこの徳島にIターン就職することになったので、働きながら教会に通ってそのうちに洗礼(信じたことを表明する儀式)を受けるつもりでした。

しかし、いざ就職してみると思いのほか忙しく、私はしだいに教会に足を運べなくなりました。そのうち、私の心に異変が起こり始めました。感情が上手く機能せず、怒りっぽくなったり毎日なにかしら泣いていることに気づきました。

そして私の感情の変化は実生活に深く影響を及ぼし、私は再び生きる意味を見失ったことに気づきました。たくさんのつらいことを経験して、私は自分の限界を感じたとき、もう一度教会に足を踏み入れました。

それが小松島栄光教会でした。あたたかい雰囲気につつまれ、私は新たに聖書と向き合い、改めてイエス・キリストが神であり自分の主であると心から信じることができ、そして洗礼を受けました。

今まで教会はいくつかまわりましたし、SNSなどを利用して他の教派の教会の話しを聞く機会も増えました。個人的な感想としては、「日本イエス・キリスト教団」という教団は比較的『個人の救い』に重きを置き、信仰については内面的な感じで深めていく印象があります。

政治的活動への言及などはさほど行われているようには感じませんが、社会福祉的な活動への関心は高いほうなのかなぁという印象もあります。どうも比較的伝道熱心ではあるらしく、新しく来られた方への気遣いは問題なくある印象です。

(「伝道熱心」と言っても、初めてこられた方に聖書の話しをぶつけまくるといったことはない(少なくとも私はない)のでその辺はご安心ください)。逆に言うと「もっと政治的な活動が向いている」「もっと感情的な盛り上がりを感じるほうが合っている」「もっと聖書をしっかり学びながら深めていきたい」という方は他の教団・教派が向いているかもしれません。

かつては『イエスなんて実在したのかも怪しいと思うし、聖書なんて弟子たちがいくらでもでっち上げられただろう』と思っていた私も、現在では「イエスが救い主である」と信じた身となりました。

もしこの話を読んでくださっている方が「一神教」という日本では少数派の信仰スタイルや、聖書について懐疑的だったら『洗脳された人間が何かわめいてる』という印象しか持たれないのかもしれません。

しかしながら、キリスト教が 他の諸宗教と比べると 「弱者にやさしい宗教」である点は聖書(とくに福音書など)を読んでいただければ誰しも感じていただけるんじゃないかなと思っています。

もし、会社や学校に居場所が感じられなかったり、人と比べられたり成果ばかり求められて疲れていたりしたら、『キリスト教』ってやつは意外と新しい世界を示してくれるんじゃないかなと思いますし、それはきっと「自分に幻滅してる」人にほどやさしくしみてくるものなんではないかな、と思っています。

Mさん(60代・男性)

学生時代

 私は1942年8月、戦争さなかの大阪で生まれ、すぐ父親の実家である徳島県小松島町(今は市になっている)に移住しました。

 少年時代は近所のガキ大将、いたずら坊主で、いつも、母親や近所の人に叱られていました。ふつうは楽しいはずの夕食時は、よく母に叱られたり小言を言われたものです。弟ともしょっちゅう兄弟喧嘩。母からは、小言の度に「おまえには愛想を尽かしたよ」と言われたものです。そして、近所の子供と比較して、あの子を見習いなさいと言われました。

 盆と正月には、大阪で働いていた父が帰ってくるのですが、母は「お父さんが帰ってきたら言いつけるよ」と脅していましたので、父が帰るといつもびくびくしはいました。そして、近所の酒屋に1升瓶の酒を買いに走らされるのです。酒に酔っては、子供たちにくどくどと説教を始めるのです。わたしはだんだんと親父のようにはなるまいと心に誓うようになりました。

 高校時代は、受験勉強の毎日でした。模擬試験の成績に一喜一憂する日々でした。そして、自分というものを客観的にみられるようになり、うぬぼれやすい自分、弟といつも兄弟喧嘩ばかりしている自分の姿が自分では受け入れられなかったのです。また、人は何のために、どのような人生観をもって生きるのが正しいことなのだろうかと考えるようになりました。

 高校への通学途中に、プロテスタントの教会が有り、その前を通ると若い伝道師らしき人が薪割り、掃除など、一心不乱に働いていてそれが不思議に私の心に訴えるものがありました。

聖書との出会い

 その教会には英国からこられた宣教師が担当するバイブルクラスの案内が出ておりまして、英語が好きであった私はそのクラスに出席するようになりました。このようにして私は聖書に初めて接するようになったのです。そのうちバイブルクラスばかりでなく、求道者会や礼拝にも出席するようになりました。そこには、私のいままで会ったひととは全く違う、愛にあふれた夫人牧師や信徒の方がおられました。

 そのうち、いよいよ大学受験の日です。母がわざわざ、徳島から大阪まで付き添いにきたのですが結果は受験失敗でした。その年の夏から、母親は私を東京の予備校に通わせてくれたのですが、予備校の入学試験の日に朝寝坊してしまい、昼間の予備校にも行けなくなってしまいました。それで、昼は働き夜は予備校に通うという東京の板橋区での生活が始まりました。私のアパートの近くに常盤台バプテスト教会があり、そこでも求道を続けました。

 1961年の秋、その教会にアメリカから、来られた宣教師がメッセージをされました。会堂には50〜60名の人が集まっていたように記憶しています。集会の終わりにその宣教師はイエス・キリストを信じ受け入れる人は前に出て来なさいと勧めました。しばらく会場は沈黙、その宣教師はもう一度前に出るように勧めました。やはりしーんとして誰も応答しません。メッセージの内容は覚えていないのですが、私はキリストを信じたと言うより、わざわざアメリカから来られたというのに、ここで何か応答しないとまずいのではないかと言う気になり、前に出ていってしまたんです。そのような動機不純の信仰の決心をしていまいました。しかし、1962年3月も受験に失敗し私は前途に何の希望も持てず郷里に帰ってきました。

信仰の決断

 このようにしていわゆる自宅浪人の生活が始まりました。何のために受験勉強しているのか、わからず人生の目的もわからず、前途に何の希望や目的が見えない灰色の浪人人生でした。そのうち、私のうちに常盤台バプテスト教会から、「荒野に水は湧く」という、小冊子が送られてきました。それは、升崎外彦牧師の伝道の半生を描いたものです。父は、酒ばかり飲んで、いつも不機嫌。母は、「人はよく騙すから決して信用してはいけない」と教える。それでは人生をどのように送ればいいのかと求めていた私はそれを読んでその牧師の人生に大変感銘を受けました。信仰者の高貴な人生に大変感銘をうけたのです。

 受験失敗という失意の中で、聖書を読むうちに一つの問題がわたしの心を支配するようになりました。それは「イエス・キリストがまことの神様かあるいは人を惑わす宗教家なのか?」という疑問です。それでわたしは私なりに真剣に聖書を読むようになりました。そして聖書に記されているイエス様の権威に満ちた言葉、死をもおそれず決然と自分が説く道を歩むイエス様、数々の奇跡、イエス様がとらえられた時、自分の身にも降りかかる災難をおそれてかくれてしまった弟子たちが復活されたイエス様に出会った後の変貌ぶり、使徒パウロが最も大切なことこととして手紙に記したこと(聖書コリントI15:3〜22)、これらは私にとってイエス・キリストはまことに甦られた神そして弟子たちはその証人であることを確信させるのに十分でした。そしてわたしは、このキリストこそまことの神なのだと確信しました。

 (聖書ヤコブの手紙1章5〜7節)
「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるならその人は誰にでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさいそうすればきっと与えられます。ただし少しも疑わずに信じて願いなさい。疑う人は風に吹かれて揺れ動く海の大波のようです。そういう人は主から何かをいただけると思ってはなりません。」

 1963年3月2浪目の受験も失敗でした。受験戦争に失敗ばかり重ねていた私はこの聖書箇所を読んだとき、知恵に不足している人に惜しげもなく与えるといわれる神様の圧倒的な豊かさ、身勝手に生きてきて、困ったときに神により頼むというような自分の醜さや恥知らずの自分をすべて許してくださる神様の恵みに触れ泣けて泣けて仕方がありませんでした。そして胸晴れ晴れとしてイエス・キリストを救い主として受け入れる決心をしました。

 そして、1963年4月28日小松島栄光教会の阿部琴牧師より洗礼を受けました。大学進学はあきらめて大阪で働くことにしました。1964年5月、私は関西聖書神学校で行われた聖会に出席しました。その聖会で、佐藤邦之助という牧師が、説教の開口一番、「イエス・キリストの十字架は矛盾です。罪なき者が罪人として十字架にかけられるこんな矛盾はありますか。」と語られた言葉に、自分の醜い姿を照らし出されたように思いました。自分がいつも正しい、自分は間違っていないとして、人を許せない自分の姿を見せられて、イエス様、私はあなたに従って行きますと強い決心に導かれました。

 聖書はいいます。

「御子イエス・キリストの血はすべての罪からわたしたちをきよめます。」 (ヨハネ第Iの手紙1章7節)

 この聖書の言葉を読んだとき、私が先祖から受け継いだ罪があったとしても、それらの罪から解放され、両親から受け継いだ否定的な人生観にとらわれずそれから解放されたという喜びを覚えました。