徳島県出身のキリスト教徒&縁深い有名人【隠れてないキリシタン】
こんにちは!徳島県小松島市、ルピアすぐ近くにあるプロテスタントのキリスト教会、小松島栄光教会です。
このコラムでは、徳島県で幼少期を過ごしたキリスト教徒の方や、キリスト教徒ではないけれどもキリスト教にゆかりの深い人物などをまとめてみました。
~当コラムのピックアップ基準~
・近代~現代 で活躍した方
・当人以外が言及した、その人自身の事業や活動に言及したメディアが存在する方
・現代の聖職者は除外
徳島県にゆかりあるキリスト教徒(自認・公表している方々)
賀川豊彦 ー徳島中学校を卒業、社会運動家として今なお影響力の衰えない人物
ーKagawa Toyohiko
賀川 豊彦(かがわ とよひこ、旧字体:豐彥、1888年(明治21年)7月10日 - 1960年(昭和35年)4月23日)は、大正・昭和期のキリスト教社会運動家、社会改良家。戦前日本の労働運動、農民運動、無産政党運動、生活協同組合運動、協同組合保険(共済)運動において、重要な役割を担った人物。日本農民組合創設者。「イエス団」創始者。キリスト教における博愛の精神を実践した「貧民街の聖者」として日本以上に世界的な知名度が高く、戦前は、現代の「三大聖人」として「カガワ、ガンジー、シュヴァイツァー」と称された。茅ヶ崎の平和学園の創始者である。賀川豊彦を記念する資料館は東京、神戸、鳴門にある。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』賀川豊彦 項目 2021年10月11日 日本時間18:22時点)
【賀川豊彦について】
・徳島県鳴門市大麻町東馬詰の出身で、徳島の風土とそこに生きた人たちの深い影響の下に育った世界的偉人!・日本で最初に1947年・1948年の2度ノーベル文学賞候補となり、晩年にはノーベル平和賞候補に4度上がりました!
(引用:未来高等学校 徳島学習センター 賀川豊彦に関する作文をしたためてみませんか?より)
佐古純一郎 ー名西郡神山町出身の文学批評家
-Sako Junichirou
大正八年(1927年)徳島生まれ。日本大学文学部宗教学科を卒業。出版社勤務ののち文芸評論のの道にはいる。現在、中渋谷教会牧師、二松学舎大学教授。著書に、『現代の信仰』編著に『三浦綾子の世界』などがある。
(出典:「キリスト教徒日本人ー文学者との対話」)
佐古純一郎(1919-2014)は徳島出身の作家・批評家である。信仰に立脚した文芸評論を展開したことで知られている。亀井勝一郎に師事し、創元社で小林秀雄の知遇を得た。小林秀雄に殴られて階段から落ちたというエピソードはあまりにも有名だ。
(出典: 【既刊再読 改めて読みたいこの1冊】 評論集『純粋の探究』 佐古純一郎 Kirishin)
田中千禾夫、田中澄江、森 有正、椎名麟三、阿部光子、島尾敏雄、遠藤周作、佐古純一郎、三浦朱門、三浦綾子、矢代静一、小川国夫、曽野綾子、有吉佐和子、森 礼子、武田友寿、高堂 要、饗庭孝男、上総英郎、森内俊雄、他。
(引用:キリスト者の文人たちー復活したひつじ)
幸いなことに、椎名麟三や三浦綾子を始めとする戦後活躍した文学者のほとんどが、神こそがこの世の創造者であると認めており、イエス・キリストの磔刑によって吾が罪は購われて、その後の復活と永遠の命を信じる正統的な信仰者であった。
徳島県にゆかりがあって、キリスト教徒ではないがキリスト教に縁深い方々
注意
当コラムライターは、「その人の信念がどういったものであるのかというのは、第三者には知ることができない」と考えます。当コラムライターは一神教信徒(キリスト教徒)ですので、絶対者なる〈神〉というものが在ると信じており、かつ、その〈神〉なる方は「人間ひとりひとりの、そのすべてをご存知である」というに考えています。
そのうえで、「自分は、一般的な意味でのキリスト教徒ではない」と発言されていながらも、その制作物や価値観にキリスト教との接点を見出せるものがある方々をこのカテゴリで紹介いたします。
中野好夫 ー愛媛生まれ、徳島中学校在学経験ありの英文学者
-Nakano Yoshio
愛媛県松山市生まれ。旧制徳島中学校(現在の徳島県立城南高等学校)在学中、スパルタ教育に反発して退学。のち旧制第三高等学校へ入学。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』中野好夫項目 2021/11/2日 日本時間13:37 時点)
一九一〇年
(引用:沖縄文化研究 12巻p.503- 中野好夫年譜 Pdf)
四月、徳島市寺島尋常小学校に入学。おそらくはこの前年、両親がキリスト教に改宗し、以後キリスト教的精神教育を受ける。のち小学5年頃、幼児洗礼を受ける。
大杉連 -小松島出身の役者、「教誨師」牧師役、兼プロデューサー
-Osugi Ren
牧師の佐伯は、半年前に着任したばかりの教誨師。彼が面会するのは年齢、境遇、性格の異なる6人の死刑囚。皆、我々と変わらない人間でありながら、どこかで道を誤ったり、ちょっとしたボタンの掛け違いによって取り返しのつかない過ちを犯した人々。他の受刑者と顔を合わせることなく、家族にも縁を切られ、独房で孤独な生活を送る彼らにとって、教誨師はよき理解者であり格好の話し相手。真剣に思いを吐露する者もいれば、くだらない話に終始したり、自らの罪を全く顧みない者もいる。一方の佐伯は彼らに寄り添いながらも、自分の言葉が本当に届いているのか、そして死刑囚たちが心安らかに死ねるよう導くのは正しいことなのか苦悩する。その葛藤を通して佐伯もまた、はじめて忘れたい過去と対峙し、やがて自らの人生と向き合うことになる……。
(引用:映画「教誨師」公式WEBサイトより)
教誨師とは、受刑者に寄り添って心を救済し、改心できるよう導く存在。日本では仏教僧が多いが、今作の主人公の佐伯はプロテスタントの牧師だ。「日本の教誨師はお坊さんが全国で50パーセント以上だそうです。佐伯はスーツ姿で面会し、奥さんもいる。拘置所以外の場所を想像できるような設定にしたかったので、僧侶でも神父でもなく、牧師にしました。大杉さんとは5年程前からずっと、一緒に映画を作りたいという話をしていて、ほかの企画もありましたが、3年前にこの話で大杉さんにOKをいただき、1年をかけて脚本を書き進めました」
(引用:『大杉漣さんが死刑囚と向き合った最後の主演作「教誨師」佐向大監督に聞く』 映画.com)
…大杉漣主演の映画「教誨師」。本当に面白い(って言っちゃ何だけど)映画だった。今までわたしは映画に頑張って挑戦してきたのだけれど、そのたびにあまり面白いとは思えなくて途中で飽きているという始末だった。でも、この映画は違った。ぶっ続けで約2時間、集中力が途切れることもなく、ラストまで見ることができたからだ。わたしにとってここまでのめり込むことができる映画というのは本当に久しぶりで、実に充実した時を持てたように思う。
(引用:映画「教誨師」の高宮から考えさせられたこと」星さん.net)
さて、わたしがこの映画の中で一番印象に残って、一番衝撃を受けたのが、青年高宮だった。何か彼があの死刑囚たちの中で一番ヤバかったように思えたのだ。一言で言うなら思想に殉じた青年だろう。彼は間違っている。彼の思想はおかしくて狂っていて問題があって危険思想に絡め取られている。
けれど、わたしに高宮を非難する資格はあるとしても、批判する資格があるかどうかと言えば怪しくなってくるのである。…(リンク先コラムはネタバレ注意です)
米津玄師 ー徳島生まれのアーティスト、その作品たちにはキリスト教文化のエッセンスがちりばめられている
-Yonezu Kenshi
キリスト教を想起させる言葉が目立つ
(引用:聖夜に寄せて 米津玄師が選んだ祈りの言葉ーwild orange さんのNoteより)
宗教的な言葉は49回使われており、そのうちの約37%がキリスト教に由来し、約18%が仏教系の言葉である。
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このコラムは、小松島栄光教会で洗礼を受けたキリスト教の信徒が、県外より遠隔にて執筆しました。このコラムへのご意見や修正依頼・問い合わせは、こちらよりお問い合わせ下さい。

